•yuiさん まあよくあるか。離婚ね
•MSD先生 突然病気になったりとか。奥さんも同業者らしい。でも帝京の医局にはいるらしい
•あとは?
•間質性肺炎で、東大で肺移植受けたけど亡くなっちゃった子の話
•突然インフルエンザ脳症で5歳の娘をなくして、臓器提供の可否を迫られたりとか
お別れできないよ ずっと生きててほしい
•MRくん、icu
•突然シングルファザーになったパパ。youtubeにいた
•すーさん。ワクチン
•チームKかげやまさん26歳男性
(この辺はワクチン関連=戦争)
•今週smさん来るじゃん
•事件になったやつ。父が、母子4人殺害
自分も死のうとしたけど死ねなかった。経済問題 離婚 嫁のメンタル不調
•武石知華さん
•さいとうかざとくん
•6歳の娘と死のうとした父親の話
アーカイブ 「想いをつづって」娘へのラブレター
2024/5/29 (水) 16:00
この記事は、2023年7月29日に朝日新聞デジタルで配信されたものです。
下記、当時の記事です
3月、大阪市のビルの中。
20~30代の若者たち50人ほどが床に座り、前を向いていた。視線の先に立つ男が手紙の朗読を始めた。
《娘・ミサトへ
あなたの母親であり、私の妻であった、我々の最愛の女性は、ある、小さな記事として新聞にも掲載された交通事故により、きみがまだ6歳のときに亡くなりました》
朗読する橋本昌人さん(58)は、放送作家。漫才やコントのネタや台本をお笑い芸人たちに提供してきた人でもある。だが、この手紙はネタではない。滋賀県のある男性が書いたリアル、だ。
満足げな表情のきみは
《突然すぎて、悲しみ抜いて、途方に暮れて、精神的に参ってしまった私は、死のうとしたんです。
バカなことに、きみを連れてお母さんを追いかけようとした。
その日、最後の思い出にと、家族でよく出かけた遊園地に2人で行きました。
とにかくきみは楽しそうで、これが最後の遊園地になることも知らずに、いや、今日が最後の日であることも知らずに、元気いっぱい走っては、乗り物をハシゴしてた。
やがて、急流すべりを乗り終わって、こちらに駆けてきたきみは、満足げな表情で見上げつつ、私と手をつないで、ニコニコしながらこう言いました。
『もういいよ、お父さん。もう、お母さんのところに行こ』》
神妙な表情で手紙を聴いていた若者たちは、お笑い芸人の卵。吉本興業の聖地「なんばグランド花月」そばにある芸人養成所「NSC」、そこに通い続けた第45期たちの1年間を締めくくる授業の場だった。
講師の橋本さんは、ラジオ番組の放送作家として2010年から3年間、リスナーのラブレターを募った。感謝の気持ちや本気の思いがこもっていたら、誰にあてた手紙でも「ラブレター」です、と。
集まった手紙には涙を誘うものが多かった。読み、涙を流すとスッキリした。この気持ちを共有しようと、13年、ラブレターを朗読する「涙活(るいかつ)」を始めた。ミサトへの手紙も、ラジオに寄せられたものだった。
「わたしにも悲劇がある」
「お笑いの勉強をしにきているのに、最後の授業が涙って何やねん」
そう思う芸人の卵たちもいた。だが、手紙の朗読にひとり、またひとりと目をうるうるさせてきた。
そして、それぞれが手紙を書くことになった。
ピン芸人「誇(ほこり)」、24歳。
ふだんは、芸人志望の理由を、こう話している。
「イケメン俳優とキスをするためです」
でも、この日、こんな思いを手紙にしたためた。
《わたしにも悲劇がある。育児の悩みなどで家族が、私と母、姉と父とに別れてしまった。わたしは売れてみせる。そして、姉と遊びたい、いっしょに住みたい》
コンビ「スリーマンセル」の中村金時(きんとき)、23歳。
「涙活、なんじゃそりゃ」と思って授業に出たが、泣いた。授業の1週間前に祖父が亡くなったことが影響したのかもしれない。
「おじいちゃんは亡くなったんだよ」と言っても言っても忘れてしまう、そんな認知症になった祖母に向けて、書いた。
文面は忘れてしまった。でも、祖母への思いをこめたラブレターだったことは確かである。
コンビ「ムーンライトビンタ」の耳、24歳。離婚後、ひとりで育ててくれた母に手紙を書いた。
《わたしは、ちっとも悲しくなかったよ》
手紙の続きは
NSCを運営する「よしもとアカデミー」の上田泰三社長(54)は、いう。
「生徒たちは、いろいろなものを背負いつつ、この世界に飛び込んでいます。いまはプールで泳いでいる。大海原に出て、荒波に立ち向かう前に、手紙を書いて自分のことを整理させようと考えました」
4月、彼ら彼女らは、NSCを卒業し、ほんまもんの芸人として活動を始めた。
NSCは、来年も再来年もず~っと、締めくくりの授業は涙活、と決めた。
授業で朗読された手紙には続きがある。
《きみは気づいていたんやね。
きみを抱いたまま、ムリヤリ、父親の私がこの世を去ろうとしていたことを、なぜか知っていたんやね。
私はハっと目が覚めました。
私はこんなことを言った。
「あほ! お母さんに怒られるぞ、ミサト! いつか、お母さんがゴハン作って待ってるのに、迎えにきてくれたオマエと駅前の焼き鳥屋に寄り道した時みたいに、お母さんスネるぞ! すねたらひつこいぞ~!」
こう言うときみは……、お葬式の日以来、お母さんのことでは全く泣かなかったミサトは、セキを切ったように大きな声で泣き出したね。
二十四年前のあの日のことを、きみは覚えていないと言います。
でも、きみに子どもが、そう、私とお母さんにとっての孫ができて成長したら、あの遊園地にみんなでいこう。お母さんの分も入場券をちゃんと買って、みんなでメリーゴーランドに乗ろう。
そして、みんなで、思いっきり笑おな。
ミサト、本当におめでとう》
この手紙は、父から結婚する娘に宛てたものだった。