子育てやってるとさ、

あっ

自分死ぬんだな

っていうことにふと気づくことがある

自分がなぜそういう思考になったのか?

牧場型動物園の帰り。娘と二人で車に乗っていて

娘は後ろで寝ている。

娘は私に命を預けている。

何の疑いもなく。

私は車を運転している。私は車に命を預けている。

何の疑いもなく。

ふと考える。車って、どれくらい前から走ってるんだっけ?

登場したのは100年くらい前かな

だから100年くらいは歴史があるわけ。まあ大丈夫か。

インターネットが登場してから約30年

仮想通貨が誕生してから10年

生成AIが登場してからもうすぐ5年

なんか歴史の中でみれば、自分なんてちっぽけな存在だなと。

自分はもう30年以上生きてるけど、もう体感でいうと人生の中盤にきてる。

自分の命はいつか消える。知識としては知っていたけど

自分の命がもうすぐ消えるとしても、なんの不思議もないなと。

違和感ないなと。感じた。

もちろん、この子達が立派な大人になるまでは、死ぬわけにはいかないんだけれども

だけど

死という問題に取り組むことだって

立派な親としての勤めだと思う

言い換えると

生き方を教えた後は

死に方を教えること

親は子に死に方を教える

それは最後の教育だと思っているから

 ①突然死ぬ(もしくは動けなくなる、知的作業ができなくなる)シナリオと

②徐々に弱って死んでいくシナリオ

二つを想定しています。

①のシナリオは

2/28に妻の友人のところで検討する予定

(2026/04/05追記:上のやつは結局なくなったんで。ファイルをみて更新するしかない。)

②に関しては、自分で研究して

心構えをしていくしかないなと。

森永卓郎さんの本とかは読みましたね。

余命2年の医者の話

あと、金子さんだっけ?お得な情報を発信する。

それから、50万円を50億円にしたお医者さんの話

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